かねてより自分の性格で気になっていることがあった。
それは、「人の目が気になる、どう思われているかが気になる」、「自分の中の寂しさが気になる」ということでした。
エニアグラムに関心を持ったのは、この自分自身の気になっている性格の原因がわかり、解放の糸口がみつかりもっと自由で幸せになれるのではないだろうか、また、自己のアイデンティティに気づくことになるのではと感じたからです。
エニアグラムのワークショップに参加し、自己探求を深め、発見したことは私はタイプ3の傾向が優位であることです。
ハートセンターに属し、「人からの関心を求めている」こと。根源的恐れは「価値を評価されず、認められないこと」、根源的欲求は「自分の価値を高く評価され、認められ、称賛されること」、即ち「好ましい人間で、受け入れられていることを感じられる」ことなのです。
自分の人生を振り返ってみると、確かにこの根源的欲求を満たすためという無意識の動機に突き動かされてきたとも言えます。
だからどう評価されるか「人の目が気になる」のです。また、一人でいると寂しさを感じるのは「心が満たされず、物足りない気持ち」を感じてしまうからだということにも気づきました。
自分のこの寂しさから逃れるために、日々走り回り忙しくして、この心の空虚さから無意識のうちに逃れるようにしてきたのだなとも気づきました。
この心のメカニズムは、まさに無意識の動機で、他者からの承認に依存することが自動反応のように動いていました。
石川県の田舎から都会にでて、憧れの会社に入社し、独立しエニアグラムに出会って、このような自分の性格的な傾向に気づき、還暦を迎えても、何度もこのパターンを繰り返してきました。
そして、性格の構造の「光と影」、即ち光は「成功」であり影は「失敗」であると思い込み、光を外の世界で追い求め続けてきました。どんなに成功を追い求めても、追い求めても決して満たされることもないことをも痛感してきました。
また、影の面である失敗を体験したからこそ、真に生きることの大切な意味、幸せになるためには外面だけではなくて、内面が大切なことにも気づかされました。
成功と失敗は、表裏一体となっていることを理解し成功と失敗を冷静に見られるようになってきたのです。
すると、今年70歳を迎え、残された人生の中でどのようにして性格を超えるかが課題です。
そこで、まずは自分自身の性格の構造のパターンを観察し、そのメカニズムを再認識することことから始まりました。
私の場合は、心の寂しさから逃れ、外の世界で他者から認められようと駆り立てられるように走り回っても決して内面の心は満たされることのないというものです。
そこで、その虚しさを静かに一人で深く味わうことが次にやってみたことです。空虚さ・虚しさを味わい続けることは、私にとって胸のあたりがとても辛い・しんどいことでした。
しかし、そのプロセスを通じて、このような自分の性格構造を観察している静かな本質的自己ともいうべき存在を感じることがありました。
ここに至ってタイプ3の本質が「真正」であることの意味を初めて理解できたのです。
「自分自身がいつわりがなく本物で正しい」という感覚こそタイプ3が求める本質なのでしょう。
他者からの承認を求め「自己イメージ」を追い求める姿がタイプ3の囚われである「偽り」であり、本質の「真正」という感覚からずれ、本質的自己とのつながりがなくなった時に「寂しさ」を感じるという性格構造のメカニズムを理解し、腑に落ちました。
本質的自己とつながっているとき、頭は静寂で、心身とも穏やかで自然が輝いて見えます。まさにプレゼンスの境地にいる実感です。
エニアグラムの学びは深く深遠です。
生きて様々な体験をするからこそ、生きた気づきとなります。自分の様々な体験をエニアグラムという自分をありのまま映し出す鏡を通して自分の有り様に気づいていくことができるのです。
生きる意味とは、無垢で生まれ、自分の人生の中で様々な体験を通して築き上げてきた自分のあり方(Human being)に気づき、その性格構造から解放されて本来の本質的自己とつながっていくプロセスではないかと考えているところです。
その学びを続けていくためには志を同じくして切磋琢磨し、学び続ける多様な人たちとのコミュニティが必要です。
一般社団法人ビジネスエニアグラム協会の活動は、一人ひとりが自分の生きている意味、働くことの意味に気づき成長し、シナジー効果をあげていくこと支援してくれる存在であると感じています。
理事 木村孝(タイプ3)